ここに我が息子が生まれてからの話を記しておきたいと思います。
これから親になる人へ向けた経験談です。
万が一、自分の子供が病気を持って生まれた場合に注意しておくことを記します。
参考になれば幸いです。
【退院編】
もくじ
小児医療センターへ転院
息子がかかった医大病院では膀胱尿管逆流症の治療が行えないので、小児医療センターへ転院することになりました。
私は仕事があったので妻が付き添いました。
救急車で1時間ほどの移動だったそうです。
息子は変化する環境にも泣くことなく、すんなりと転院先の病院も受け入れているようでした。
小児医療センターは腎臓内科があり、同じエリアはおそらくほとんどが腎臓に何か問題を抱えている子なのでしょう。
明らかに重症な子から一見何もない元気な子まで様々な病状の子がいるように見えました。
こう言っては失礼かもしれませんが、同じ病気でも元気な子を見たら少し救われたような気がしました。
息子もきっと彼らのように元気になれる。
手術するにはまだ小さい!?
膀胱尿管逆流症は自然治癒するかもしれない症状です。
感染症が起こらなければ、気がつかないうちに治っていたってこともあるそうです。
息子の場合は、全く弁が閉じておらず、大きく開いてしまっていました。
自然治癒はあまり望めなさそうでした。
先生いわく、息子の尿道は少し変な形をしていて、そのせいでおしっこが出しにくくなっている可能性があるそうです。
まずはそこを削る手術をすることになりました。
しかし、まだ体が小さいので、尿道が狭く、もう少し体が大きくなるのを待たなければなりませんでした。
「ミルクをたくさん飲んで体重を増やしましょう。」
ミルクを飲むことが手術までの道のりとなりました。
付き添いの日々
小児医療センターでは付き添いで息子の側に宿泊することができました。
妻と私が交代で付き添うことにしました。
私の職場も理解してくれて、毎週水曜日はお休みを頂きました。
私は火曜日の夜と、金曜、土曜の2連泊。
妻はその間の2連泊するシフトで生活しました。
すげーツライ。
同じ布団で寝ているわけではないので、添い寝ができない。
つまり、泣いたら絶対に抱っこになります。
そして、夜中だろうと問答無用で看護師さんが作業しに来る。
ありがたいことなのですが、私は物音に敏感な方でなので起きてしまいます。
そして、一番ツライのはミルクを飲ませてあげることです。
妻はたまに母乳をあげていました。
私は哺乳瓶であげるのですが、全く飲みません。
それでも、1日のノルマがあるので飲ませます。
飲んだー!と思うとたいてい全部なんじゃないかくらいの量を吐きます。
1時間ほどかけて100ml飲ませて、その2時間後にはまた100mlがやってくるというペースであげました。
くる日もくる日も繰り返します。
そんな日々を続けたかいもあって、少しではありますが体重が増えてきました。
それに伴うように体内のイオンバランスも安定してきました。
「退院できそうですね。ご両親の意向を尊重します。」
退院はとても喜ばしいことです。
病院での生活はやはり普通ではありません。
公園で散歩したりすることは感性的な面で良さそうですし、何より私たちの気持ちも違うと思いました。
しかし、看護師さんの助けなく夜中の対応を私たちだけで耐えられるのか心配でした。
夫婦で相談をしましたが、やはり退院するのが良いだろうと決断しました。
退院!
5月下旬でした。
息子が約2ヶ月ぶりに自宅に帰ってきました。
先の見えない入院でしたが、がむしゃらに生活していたら終わりがやって来ました。
先のことを考える余裕もなかったので、気がついたら退院して良くなったっていうのが私の正直な感想でした。
少し遅いですが、端午の節句の写真を撮りました。
曾祖母さんも乗りたくなかった飛行機に乗って、はるばる沖縄から会いに来てくれました。
叔父、叔母も会いに来てくれて抱っこしてくれ、みんなの笑顔が見られて、やっぱり退院してよかったと思えました。
壮絶な付き添い生活は終わりましたが、飲ませては吐く、また飲ませては吐くということは変わりなく続きました。
実は、夜中のミルクは看護師さんがやってくれていました。
あかちゃんですので当然、夜中もミルクを飲みます。
自宅では夜中の分も自分たちでやらねばいけなくなります。
これもなかなか体力が必要でして、吐いてしまった瞬間にイライラが爆発してしまうことが何度もありました。
退院はできましたが、厳しい日々は続いていました。
私たちの家庭だけがつらいわけではないことは承知しております。
一般的に生後半年くらいのこの時期はどのご両親も大変であると思います。
しかし、このブログで様々な家庭がある1つの例としてご記憶いただけたら幸いです。
つづく。
最後までお読みいただきありがとうございます。