研究者父さんの熟考ブログ

まいさなが通勤電車で遠くを見据える

通勤電車は考えごとするほかないよね~(゚∀゚) 勉強・教育・研究・育児についての考えごとを綴る自己ブランディングブログです

名前を呼ぶ、名前を呼ばれる

昨日と一昨日で2回も「名前」というワードが気になりました。今日は名前について書きたいと思います。まずはその2つのエピソードを紹介していきます。

 

斎藤工は名前を覚える

櫻井有吉THE夜会というテレビ番組にゲストとして斎藤工さんが出演していました。斎藤さんは撮影スタッフの名前を出来る限り全員覚えるのだそうです。

 

自分がまだ下積みだった頃に名前を覚えてもらえないことが多々あったらしく、名前で呼ばれることの嬉しさが分かるとおっしゃっていました。

 

分かるからこそ、初心を忘れずに現場のみなさんの名前を呼ぶようにすることはとても素晴らしいですよね。斎藤工さんほどの大物に名前で呼ばれたら嬉しいですし、彼のために頑張ろうと士気も上がると思います。

 

ローマ教皇のお言葉

先日、ローマ教皇が日本に来日されました。おそらくさまざまなところで演説されたことでしょう。間接記事になってしまいますが、ローマ教皇の演説でも名前の部分が気になりました。

 

モノも重要だが、人(との関係性)は欠かせない。人なしでは私たちは人間らしさを失い、顔を失い、名前を失う。私たちは単なる物体と化してしまう。私たちは物体ではない。人なのだ。

出典: ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事 (3/4) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

人と繋がりがなければ名前を失う。呼んでくれる相手がいなければ無くても良いものとなるのです。斎藤工さんの話の翌日だったこともあり、妙に気になりました。

 

言語は情報伝達の方法として生まれたのではなくて、世間話や噂話をするためだとも言われています(諸説あるそう)。人は孤独では生きられず、人と関わりたい生き物だということでしょう。

 

そう考えると「名前」が付いていることも人間らしさではないかと思うのです。噂話などをするためには、話題の対象者を共有しなくてはいけません。そこでは「あの人」ではなく、「○○さん」と特定できないと話が進みませんから。

 

名前を呼ばれることを意識してみる

1日に何回自分の名前が呼ばれたか数えたことはありますでしょうか。

 

ちなみに私の昨日の場合では4回でした。内2回は奥さんでした。職場では2回だったのですが、廊下で呼び止められて雑談をしました。どのような生活しているかで全然違うでしょうから、人と比べることは意味がないと思います。

 

急いでいるときは「雑談で呼び止めないでよ!」と思うこともあるでしょう。しかしよく考えてみたら自分の名前を呼ぶ必要があるって素晴らしいことです。

 

人の名前を呼ぶときとは、多数の人が存在する空間でその人でなければならないときだと思うんです。誰でも良ければ名前は必要ありません。「名前」を意識すると、その雑談をわざわざ自分にしたかったという想いが幸せなことだと思えてきません?

 

あとがき

毎日行くコンビニの店員さんは、名札をしているので名前が分かります。もしかしたら毎日来るもんだから、店員さんも私の顔を認識しているかもしれません。

 

少し勇気を出して、名前を呼ぶことができたならば僅かながら相手に喜びを与えられるかもしれませんね。いや、ちょっと自意識過剰かなぁ?

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます😊