まいさなが通勤電車で遠くを見据える

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通勤電車は考えごとするほかないよね~(゚∀゚) 勉強・教育・研究・育児についての考えごとを綴る自己ブランディングブログです

「結局どっちなの!?」と迫ってしまう人の心理。日本教育が生んだ悪癖。ではどう対処する?

おはようございます。maisanaです。

 

みなさんはテレビを見ていたり、ネット記事を読んでいて、

「結局どっちなの!?」

と思ったことはあるでしょうか?

 

内容によっては、白黒つけられる場合もあるでしょう。

しかし、大抵のことはそうとは限りません。

 

焦って間違った判断や結論にならないよう、みなさんには両側からの意見をしっかりと取り入れて、妥協点を見つけていけるようになってほしい。

私はそう思います。

 

今のテレビなどでは、正解が用意されている番組が非常に多いです。

正解すると嬉しいしスッキリします。

 

逆に、答えを曖昧にされたままではモヤモヤします。

 

私はこれを「結局どっちなの!?」感情と呼んでいます。

 

この感情が強いと、正解を貰えないと納得できずイライラしてしまう。

世の中には正解がないことがたくさんあります。

そのため世の中への不満ばかりが溜まってしまいます。

 

「結局どっちなの!?」感情を生まないためにも、自分で考えて納得するクセをつけてほしいと思います。

なぜその感情になってしまうのか知った上で、「結局どっちなの!?」とならないように意識していきましょう。

〇か✖かの学習

この「結局どっちなの!?」感情は、小中学校の教育が影響しているのでは?と私は思っています。

 

学生の頃のテストは一問一答形式が多かったですよね。

この教育法によって問題や疑問があったときに、答えがあるはずと潜在的に思ってしまうのです。

 

学校のテストは答えを決めてから、問題を作ります。

ということは、答えが1つしかないのです。

 

対して、日常から出てくる問題や疑問は、答えを先に用意したわけではないですよね?

ですので答えは1つとは限らないし、○か×かをはっきりさせられないこともあるのです。

それなのに、「結局どっちなの!?」と考えるのは、学校のテスト形式で受けてきた感覚が抜けていないのです。

議論の経験が少なすぎる

学生の頃に身に付けたこのクセは、問題に直面したときに必ず現れます。

そして、1つの答えを導きだそうとしてしまう。

日常の問題では、答えが1つではありません。

 

 普段から我々日本人は議論することに慣れていない。

 

「これが正解ですよ」と知識人に説かれることが多いですよね?

テレビではそーゆう構成の番組が多いように感じます。

その知識人の意見を正解だと勘違いするのです。

1つの意見を、まるで学校のテストの解答のように感じてしまう。

そして、異なる意見を否定する。

 「あの先生がこう言っていたから・・・」

 

 

2つ目の意見や2つ目の答えが出たとき、どうすれば良いのか?

 

まずは一度受け入れることから始めましょう。

そして、それぞれの良いところ、悪いところを議論させたい。

答えは急いで出してはいけないのです。

自分で考えて、納得するのです。

「結局どっちなの!?」感情を体験

我々は「答えは1つである」という考えのクセがついている。

いくつか答えがあることを受け入れがたい。

 

身近な問題ほど答えは1つであってほしい。

例えばですが、我が子への教育では絶対に正解を選びたいと思うものです。

私もそう思います。

 

こんな問題について少し考えてみてほしい。

 

幼児のうちからたくさんの英語に触れた方が良いのか。

 

 

あなたの答えはどっちだろうか?

 

それは知識人の受け売りではなくて、あなたが考えた答えだろうか?

 

反対の意見にたいしてあなたはどう思うだろうか?

 

ある知識人は言う、「幼児の脳はスポンジのように吸収するから、どんどん英語に触れた方が良い」と。

別の知識人は言う、「日本語もしっかり理解してないうちから英語を取り入れると言語能力が下がってしまう」と。

 

困りました。

どちらも納得できる気がする。

 

あなたはこう思いませんでしたか?

 

  

「結局どっちなの!?」

 

理屈を組み立てるスキルを身に付けよう

「結局どっちなの!?」体験はいかがでしたか。

そう思いましたか?

 

答えは1つではないのです。

私は知識人ではありませんが、1意見を言わせてください。

 

英語はたくさんの触れた方が良いです。

 

親が国際結婚の子は言語能力が低いですか?

そんなことはありませんよね。

2か国語が上手なバイリンガルになっています。

語彙力や言語能力は親の言葉遣いやボキャブラリーが問題で、2つの言語を使っているからではない。

と、私は思っています。

 

これはあくまで私の意見ですが。

いくつかの教育本を読んで私なりに議論を交わしました。

人の意見や実験結果を取り入れて、自分なりに仮説を立て、時には調べたりして考察するのです。

 

このような育児や教育に関する問題ではなかなか正解はありません。

時、場合、誰に対してか、などによってそれぞれ違うでしょう。

 

分が納得した答えが正解なんです。

答えは妥協点の中にある

先ほどの問いは条件が曖昧でした。

 

「幼児のうちに」は何歳なのか?

1歳未満と3歳では喋る言葉も違います。

3歳でもその子その子で言葉の量が違います。

 

「たくさんの」とはどれくらいの時間なのか?

1日2時間か、5時間か。

 

ケースバイケースなのです。

置かれた状況をしっかりと観察し、

適した方法を十分に調査し、

トライ&エラーをしながら妥協点を見つけていくのです。

 

〇でもない✖でもない、その間の妥協点を考えて考えて見つけるのです

 それはとても面倒くさいし、大変です。

でも考えることをせずに答えだけ欲してはいけません。

 

世の中には白黒つけられないことばかりですから。  

あとがき

なんだか偉そうなことを書いてしまいました。

私はみんなでたくさんの妥協点を見つけて、少しでも世の中が良くなればと思っています。

 

国会でも賛成だ!反対だ!で議論するのではなく、妥協点を見つけてほしい。

その妥協点がうまくいかなかったとしても、謝るだけで国民も納得できると思う。

議論を重ねた末に見つけた妥協点ならばね。

それに「やれ責任取れ!」とか余計な話に時間費やさなくてよくなるかも。

 

この話題を続けると政治への私の不満が出てきてしまいそうだ。

これくらいにするのが私の妥協点かもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。