私は研究者という仕事をしています。
研究ってドンピシャで同じ研究をしていないと、他の人の研究がどれくらいすごいことなのかわからない。
なので、研究者は素晴らしい研究であることを表現しなくてはならない。
私はこんな研究していて、それは世の中にこんな良いことがありますよってことを。
現代では、世の中を良くするのが研究開発の使命だ。
しかしどんなに優れた研究であっても、人に知ってもらわなければ意味がないのです。
研究者の100文字の思いと苦労
研究者の人生はアブストラクトとして数秒で消費される運命にある
これは私が参考になった著書「やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論」から引用しました。
研究者は関係分野の最新論文に目を通します。
1週間もあればとても多くの論文が公開されます。
自分の研究をする時間もあるのですべての論文を読んでいるわけにはいかないため、アブストラクトと呼ばれる要約部分を読む。ここで本文を読むかどうか見定めるのです。
ほとんどの論文はここでおしまいにしてしまいます。
自分の研究論文が公開されるまでにはとてつもない苦労と時間を要します。
たくさんの人に読んでもらい多くの研究者に影響を与えたい、それくらいの新発見のつもりで実験した結果や考察を書き、論文として整えて投稿します。
しかし、実際にはほとんどの人に本文すら読んでもらえないのです。(読むのに有料の場合もありますので)
苦労して得た新発見が記された本文を読んでもらうために、100~200文字のアブストラクトには強い思いが乗っかっているのです。
ストーリーを語る「物語力」
これも先ほどの本の引用です。
研究者は表現力が必要なのです。
「世の中にとある課題があります。これまではこんな解決方法が進められてきました。私は新たに画期的なこんな方法を考えました。将来はさらに良くなってこうなっていきます。」
のようなことを論文という形で物語るのです。
研究論文や学会発表であっても、やはり読み物でありプレゼンです。
感動するまたは驚くようなストーリーが必要なのです。
日本には謙虚謙遜が美徳とされる文化がある。
研究というステージではこの壁を乗り越えて、自らの主張をうまく発信しなくてはならない。
それか、誰がどう考えても素晴らしい研究をするしかない。それこそ難病を治すような薬とか。
そのような素晴らしい研究は限られた環境で限られた能力のある人がとても努力してたどり着けるかどうかの世界です。
ほとんどの研究者は自分の研究になるべく背伸びさせて(やや語弊があるか)、ストーリーを物語りアピールする必要があるのです。
そうしなければやっても意味ない研究と言われて続けられなくなる。
研究を続け、社会に役に立たせるには他者からの評価を受けなければならないのです。
研究者はブログを書くべき!?
インターネットが身近になっているため、情報収集は簡単です。
そのため情報量は確保できますが、その反面、インプットに力が入りがちになります。
やはり思考してアウトプットすることを練習するため、ブログなどで自分の考えを文章にする習慣化することが望ましいです。
さらにそのブログが名刺代わりになるとも「やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論」に書いてあります。
私はアウトプットすることや、自分の研究が世の中に役に立つことをアピールするのがうまくないです。
自信がないという部分もありますが、ストーリーの組み立てや言葉選びがうまくないのではないかと思うのです。
学校のせいにするわけではないけれど、日本の教育では自分の意見を発信する機会はほとんどない。
このブログは私のアウトプットの練習も兼ねているのです。
私なりに、普通または普通以下の研究者が、どうやって自分の研究を伝える手段を学ぶか考えてみた。
結局、「プロフェッショナル根性論」(紹介している本の副題)でなんとかしてみせるしかないのか。
最後までのお読み頂きありがとうございます。