塾講師のバイトのときにある中学生が質問してきた。
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
この疑問は今でも納得のいく答えが見つかっていない。
その子はそれほど勉強ができないわけではなく、「あまり必要じゃなければゲームしていたいんだけど」とか言っていた。
私はそれまで勉強することに疑問に思ったことがなかった。
なんだか用意されていて、高校、大学を卒業するために必要なものとして受け入れていました。
幸い、勉強自体が嫌いではなかったことも大きいかもしれない。
しなくちゃいけないという強制の感情を持っている子がいるのは教育が成功している証ではないかと思うんです。
字の読み書きができる、お金の計算ができる、日本の歴史をある程度知っている、法律や規則を知っているし守る意味がわかるなど、
いわゆる常識がある人が多いと経済発展、治安維持がしやすいのではないかと思うのです。
学校教育の話になると戦前、戦時中、戦後でいろいろと変化してきている。
現在では教育基本法 第4条に
国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
とあります。
親が学校に行かせなければなりません。
「子供の人格の完成に絶対必要だからだよ。」ってなことが昭和39年2月26日最高裁大法廷判決で言われています。
学校に行くことと勉強することは少し違うと私は思うので、本題に戻ります。
個人が「なぜ勉強をするのか」ということを考えたい。
私が最もメジャーだと思う答えは、良い大学に入るため。
良い学歴が良い仕事に就ける確率を上げるということ。
それは収入に大きく影響する。
あとは、知的好奇心を満たす。
クイズって答えを出すまでの過程を楽しんでいるという説があります。勉強もただ知識を詰め込むのではなくて、新しいことを知る過程を楽しんでいるのではないでしょうか。
とくに数学の問題を解くときはこれに近いと思います。
単純に友達や同級生よりも良い点をとる。つまり競争心を満たす。
「あいつより俺のほうが頭がいいぜ!」と勝ち誇る気持ち。
「平均点より高い点取れたってことは半分のやつらは俺より頭悪いぜ~」という頭悪い考え方してみたり。
ぱっと思い付くことを書いてみました。
大人になって一度は思ったことがあるだろう。
「もっと勉強しておけば良かった。」
なんで?
こう思うときって、中学生で習ったちょっとしたことが答えられないときとか、
良い大学行けばもっと稼いでいたかもしれないなぁと妄想するときに思うだけで、本当に取り戻すために勉強することってないと思うんです。
勉強をしなかったからマジで後悔した。なのでやり直した。
って人は非常に少ないと思うんです。
ここまで自然と「勉強」という言葉を使ってきました。
「勉強」という言葉のとらえ方が人それぞれではないでしょうか。
テスト勉強、試験勉強のことを勉強と思っていませんか。
私はこう思うのです。
テスト勉強、試験勉強は『練習』です。
学校では、先人が蓄えてきた知識や経験について学びます。
この行為を『学習』と言います。
そして繰り返し行う学習を『練習』と言います。
テスト勉強や受験勉強はテスト本番のための練習です。
部活動などで経験があるかもしれませんが、試合のための練習はつらいものであることが多いのではないでしょうか。
みなさんが思う「勉強」がつらいのは、『練習』だからです。
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」=「なんで練習しなくちゃいけないの?」
なのです。
試合で勝つために練習するのは当然なのです。
ただ、学生に対して「勉強はつらいものだ」と押し付けるのは私は悲しいです。
意欲をもって取り組めるような理由やストーリーを提供できたらいいなと思っています。
なので、これからも私は勉強の勉強を続けていきます。
また、書く日が来るかもしれません。